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たまにはアニメの話しでもしようか [雑記]

最近、ひょんなことから、アニメ「久保さんは僕(モブ)を許さない」を観た。
アマゾンプライムビデオで観ました。
内容は、かわいい女子高生の久保さんが、隣の席の目立たない男子高校生に恋をする、みたいな話し。

男のボクからしますと、あったらいいなって話しだけど、実際にはないなあって話しです。
例えると、ウェザーニュースで言えば、大島璃音キャスターと山口剛央気象士の関係みたいなもんかな。
例えがわかりにくくて、すんません。



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WBC優勝に寄せて [雑記]

今更なんですがね。
WBC侍ジャパン優勝について思ったことを書きたいと思います。
まあ、大型連休中で時間に余裕もあるし、たまにはブログを更新しようかと思った次第です。

WBC優勝については、いろいろな人がいろいろな角度から、いっぱい語っているので、今更このブログで多くを語ろうとは思っていません。
大谷選手について、ひとつ、ボクなりに凄いなあと思ったことがあったので書いてみたいと思います。
それは、準決勝のメキシコ戦のことでした。

1点ビハインドの最終回、先頭打者の大谷選手が2塁打を打って口火を切り、サヨナラ勝ちに繋げました。
もちろん、緊迫した中で、先頭打者で2塁打を打ったことも凄いのですが、ボクが凄いと思ったのは、試合後の大谷選手のインタビューでのコメントでした。
「必ず塁に出るっていうのは、自分自身では決めていました」
とコメントしたんです。
塁に出たいと“思っていました”とか“考えていました”とかではなく“決めていました”と言ったんですよ。
よく「夢は強く願わなければかなわない。」といいますが、大谷選手の決めていました発言は、その上をいっています。

ボクも常々、自分のなりたい姿をイメージすることは大切だとは思っています。
でも、現実生活では半ばあきらめ、大人になるにつれ、そういう気持ちを忘れてしまいますよね。
ボクも、「馬券を当てると決めていました」と言ってみたいものですね。



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福永祐一騎手引退に寄せて [雑記]

2023年2月末日で福永祐一騎手が引退しました。
騎手生活27年。
個人的感想としては、27年もの長い間、騎手をやっていたのかとも思うし、もう27年も経過したのかという思いもある。

実はボク、福永騎手のデビュー戦、現地の中京競馬場で観戦していました。
福永騎手は、衝撃のデビュー2連勝で、華々しいスタートを切りました。
2022年、角田大河騎手が、福永騎手以来3人目のデビュー2連勝を果たしました。
そのときグリーンチャンネルのキャスターが、「福永騎手もデビュー2連勝だったんですね」というニュアンスの発言をしていました。
それを見てボクは、そんなことも知らんのかなどと、ひそかにマウントを取ったりしていました。
そんなデビュー2連勝のころから、27年経過したわけで、ボクも27年歳を取ったわけです。

若いころの福永騎手は、天才福永洋一の息子ということもあって、テレビや雑誌でインタビューされることが多かったと思います。
その若いころのインタビューなどで、ボクが印象に残っているのは、父親が落馬事故で引退しているので、騎手になるときに、家族から大変反対されたということ。
また、騎手の夢として、父親が成しえなかった日本ダービー制覇をしたいということ、が記憶に残っています。

そのダービー制覇の夢は、意外に早くチャンス(あくまでチャンスですが)が巡ってきました。
デビュー3年目に超良血馬キングヘイローとのコンビでダービー初騎乗。
しかし当のダービーでは、初ダービーの緊張感のために馬を御しきれなかったのか(これはあくまで個人の推測です)、ハイペースで逃げを打ち、最後に失速、14着でした。
このあと、ダービーに何度も騎乗するも、なかなか勝利できず、ダービー制覇したのは、デビュー23年目(ダービー挑戦19回目)のワグネリアンでの勝利でした。
G1は幾度となく勝利しているのに、ダービーはなかなか勝てなかったため、「キングヘイローの呪い」などという、福永騎手にとってもキングヘイローにとっても不本意である言葉が、囁かれました。

しかし、「呪い」かどうかはさておき、福永騎手とキングヘイローは何かと縁があるなあと思います。
キングヘイローがG1を11度目の挑戦で初勝利したとき、2着に来たのが、福永騎手騎乗のディヴァインライトでした。
種牡馬としてキングヘイロー産駒の初G1勝利はオークスのカワカミプリンセスでしたが、このとき2着は福永騎手騎乗のフサイチパンドラでした。

ところで、福永騎手ほどの騎手でも、不思議と有馬記念の勝利がありませんでした。
最後の有馬記念となった2022年ボルドグフーシュ騎乗のレースでも、惜しくも2着でした。
このレース、キングヘイロー産駒は出走していませんでしたが、なんと勝利したイクイノックスは母父がキングヘイロー(つまりおじいちゃん)でした。
ボクはキングヘイローの縁を知っていただけに、思わず「そっちか」と悶絶しました。

競馬はよく「血統のスポーツ」といいますが、ボクは「縁のスポーツ」だとも思います。
福永騎手も引退して、次は調教師として活躍されることと思います。
ぜひ、キングヘイローに縁のある馬で、G1制覇をすることを願います。

引退式で福永騎手は「長きにわたった親不孝を終えることができた」と表現していました。
今までのご家族のご心配が偲ばれるような発言でした。
本当に、今まで、騎手としてお疲れさまでした。



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植野貴也騎手引退に寄せて [雑記]

最近、とんとブログを更新していないので、久しぶりに更新。
ちょっと前の話しで恐縮ですが、記事を書きます。
2022年12月31日付けで、植野貴也騎手が引退をしました。

ご本人には失礼な表現になりますが、植野貴也騎手って誰なのって人、多いんじゃないかなあ。
植野騎手は、障害レースで活躍した騎手で、2011年以降は平地のレースには騎乗していません。
ボクは障害レースをよく予想しているので、名前は知っていたのですが、しかし、実は顔までわかるのかと言われると自信がありません。

グリーンチャンネルで、引退セレモニーの様子が放映されていたので、そのとき植野騎手のお顔を拝見することができました。
引退セレモニーは、ラストランとなった12月25日の阪神競馬場で、障害レース終了後に催されました。
その引退セレモニーの様子を見て驚いたのは、大変多くの騎手がそのセレモニーに参加していたことです。

通常、レース間に行われるセレモニーは、なかなか時間的制約が多く、関係の深い騎手のみが参加するパターンが多いと思われます。
しかし、植野騎手のセレモニーには多くの騎手仲間が駆け付け、その日競馬場に居た騎手全員が参加したのではないかと思われるほどでした。
また、現在療養中の藤井騎手も車椅子で参加していました。
それは、今まで培った植野騎手の人望なのだろうと想像します。

ところで。
ボクが障害レースで予想するとき、初障害馬は買わないことが多いです。
初障害馬は、障害既走馬を比べて、馬券に絡むことが少ない印象だからです。
しかしながら、植野騎手の初障害馬は買ってもいいかなあと思うことがしばしばありました。
植野騎手の騎乗する初障害馬は、人気より走る印象です。
上手くエスコートするなあという感じです。

競走馬が障害に転向すると、障害レースに出走できるレベルになるまで、障害の練習をしていきます。
その馬に、障害のことを一から教え込むのは、障害騎手です。
そして、その教え込んだ騎手が、障害デビュー戦でも騎乗します。

だから、ボクが抱いた、植野騎手は初障害馬を上手くエスコートするなあという感想は、つまり、丁寧に丁寧に障害のことを教え込んだんだろうなあという感想にもなるわけです。

植野騎手は、人あたりも馬あたりも良かったんだろうなあ、と思います。
騎手を辞めたあとは、調教助手として馬に携わるそうです。
また、植野調教助手として関わった馬が、活躍することを期待します。

今まで、騎手としてお疲れさまでした。



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ボクの伝説の新馬戦 [雑記]

前回、ボクが競馬を始める以前の伝説の新馬戦について紹介しました。
1976年のトウショウボーイが勝利した新馬戦です。
今回は、ボクが競馬を始めて以降に見聞きした(といっても実際に生で見たわけではありませんが)、伝説の新馬戦を紹介します。

その新馬戦とは、
2008年10月26日京都6レース

上位馬とその後の主なG1成績
1着 アンライバルド 皐月賞
2着 リーチザクラウン ダービー2着
3着 ブエナビスタ 桜花賞・オークスなどG1を6勝
4着 スリーロールス 菊花賞

この実績だけでも凄いですが、ボクが感動したのは、デビューした翌年の有馬記念にこの4頭が揃って出走したことです。
同じレースでデビューした馬が、1年後の有馬記念に揃うなんて、凄いですよね。

この時の有馬記念は現地で見ていたのですが、そのとき、ターフビジョンにこの4頭を題材にした有馬記念PR動画が放映されていました。
「1年前にデビューした4頭が有馬記念で揃う」みたいな動画です。
この動画を、現在、JRAホームページなどで探してみましたがありませんでした。
もう1度見たいな。



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白眉の新馬戦 [雑記]

前回「眉唾のアルテミスS」を書きました。
それに対比するように眉つながりでタイトル「白眉の新馬戦」をつけてみました。
白眉の使い方が違っている気がしますが、まあ話しを進めましょう。

今回は、伝説の新馬戦の話しです。
伝説の新馬戦とは、出走メンバーの中に、その後活躍した馬が複数いて、今から振り返ってみると凄いメンバーだったねというような新馬戦のことです。
つまり、新馬戦自体が凄いレース(名レース)だったというよりは、メンバーが凄いというようなレースです。

ボクが競馬を始めたころ(1992年)に、伝説の新馬戦と紹介されていたのは1976年のある新馬戦でした。
時は1976年1月31日 場所は東京競馬場 芝1400m
勝ったのはトウショウボーイでした。

トウショウボーイは天馬と呼ばれた名馬で、G1を3勝(皐月賞・有馬記念・宝塚記念)しました。
そしてこの新馬戦4着のグリーングラスもG1を3勝(菊花賞・天皇賞(春)・有馬記念)。
トウショウボーイとグリーングラスといえば、後にTTGと呼ばれる3強のうちの2頭でもあります。
※あともう1強はテンポイント

そして、7着はシービークインです。
牝馬でありながら、毎日王冠など重賞を3勝しています。
シービークインは引退し繁殖馬になったあと、同新馬戦1着馬のトウショウボーイと交配され、三冠馬のミスターシービーを生むことになります。

名馬3頭が揃った新馬戦でした~。

さてお次は、ボクが競馬を始めてからの、ボク自身の伝説の新馬戦を紹介します。

と思いましたが、話しが長くなりましたので、次回に続きます。



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ボクの史上最強馬はアーモンドアイとなった 3 [雑記]

まあどうでもいい話しを長々と申し訳ありません。
今回がこの話しの最終回とします。
もう少しお付き合いください。

前回のおさらいですが、ボクとしては、秋の天皇賞を勝った時点では、アーモンドアイが史上最強馬とはまだ認められない、という気持ちでした。

ところで、その前回の記述の中で「牝馬三冠馬は、異論はあろうが、三冠馬と遜色なし」という主旨のことを書きました。
その事について、あくまで個人的意見ですが、補足します。
ボクが競馬を始めた1992年当時、三冠馬は4頭しかいませんでしたが、牝馬三冠馬(桜花賞・オークス・エリザベス女王杯※1996年からは秋華賞)はさらに少なく、メジロラモーヌ1頭しかいませんでした。
牝馬の調整の難しさからか、牝馬三冠というのは、三冠(皐月賞・ダービー・菊花賞)より難関なんです。
現在比較してみても、三冠馬8頭に対して牝馬三冠馬6頭。
そのうち無敗で制したのは、三冠馬3頭に対して、牝馬三冠馬は2020年のデアリングタクトの1頭です。

もちろん三冠レースのほうは、牡馬だけではなく牝馬も出走できますので、より3歳世代最強を決めるに相応しく、三冠レース>牝馬三冠レースだとは思います。
だからといって、三冠馬>牝馬三冠馬とは言えないんじゃないかなと思っています。
前回も書きましたが、三冠馬オルフェーヴルと牝馬三冠馬ジェンティルドンナが対決したジャパンカップ(2012年)では、牝馬のジェンティルドンナが勝っちゃいましたからね。
またウォッカが64年ぶりに牝馬としてダービー制覇をしたときには、同年のオークスには強敵ダイワスカーレットがいましたから、ダービーは勝ててもオークスは勝てなかったんじゃないかなどと囁かれたりもしました。
↑ウォッカファンの人、ごめんなさい。
ボクはダイワスカーレットファンだったから、そうでしょうそうでしょう、なんて思ったりしていました。

まあ競馬ファンが好きな馬のことを語りだすと、議論百出となるでしょうから、このあたりでやめておきます。

ただボクの本音は、同性のよしみで、牡馬にがんばって欲しいのだけどね。

前振りが長くなりました。

そして、いよいよ2020年のジャパンカップを迎えます。
このジャパンカップは空前絶後の最強馬たちが集結しました。
まず無敗の牝馬三冠馬デアリングタクトが出走を表明し、それに応えるかのように無敗の三冠馬コントレイルが出走を表明しました。
そしてそれを受けて立つように現役最強馬アーモンドアイが、引退レースとしてジャパンカップへの出走を表明しました。
三冠馬3頭の集結となったわけです。

もし今回のジャパンカップにアーモンドアイが勝った場合、アーモンドアイはボクとしての史上最強馬となるのか否か。
ボクがよりどころにしている、シンボリルドルフ最強説をもとに、自分の気持ちを整理してみました。

その1 JRAG1が7勝で、最多勝であること

JCに勝利すると、アーモンドアイはJRAのGⅠが8勝となり、シンボリルドルフを超えます。

その2 三冠馬(皐月賞・ダービー・菊花賞)であること

アーモンドアイは牝馬三冠馬(桜花賞・オークス・秋華賞)で、異論はあろうが、遜色なしとします。

その3 さらに無敗の三冠馬であること

残念ながら、アーモンドアイは無敗ではありません。

その4 三冠馬対決で先着していること

ジャパンカップに勝利すると、無敗の三冠馬と無敗の牝馬三冠馬よりも先着しますので、これは実績として文句ありません。

唯一、シンボリルドルフにかなわない条件は「その3」だけなんですが、これも今回のジャパンカップで無敗の三冠馬2頭を退けることになるのですから、自身は無敗でないけども、そこまで厳密に言わんでもいいじゃんという気持ちになっています。
これはあくまでボク個人としての条件なんですからね。

そしてジャパンカップが始まりました。
結果はみなさんのご存じの通りです。
最後の直線で、アーモンドアイは大逃げのキセキに早々に追い抜き、突き放します。
そこに、無敗の三冠馬コントレイルと無敗の牝馬三冠馬デアリングタクト、昨年JC2着のカレンブーケドールらが急追。
しかしアーモンドアイは焦ることなく、1馬身ほどの差を保ったままゴールイン。

1着アーモンドアイ、2着コントレイル、3着デアリングタクト、4着カレンブーケドール、そして5着には初代牝馬三冠馬メジロラモーヌの曾孫のグローリヴェイズがもうひと花添える形となりました。

このレースを制したのはアーモンドアイ。

この瞬間から、ボクの史上最強馬はアーモンドアイとなった。



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ボクの史上最強馬はアーモンドアイとなった 2 [雑記]

前回、ボクの今までの史上最強馬はシンボリルドルフだったことを書きました。

ところがアーモンドアイが、昨年(2020年)の天皇賞(秋)を勝ちました。

マスコミはこぞって、アーモンドアイのGⅠが8勝となったため、シンボリルドルフらの7勝を超え新記録達成、最強馬誕生と書き立てました。

ちょっと、まったあ~。

この時点でのアーモンドアイは確かにGⅠ8勝ですが、その内訳はJRAのGⅠ7勝と海外GⅠ1勝の合わせて8勝なんです。

なので、JRAの勝利数で言えば、新記録ではなくタイ記録なんです。
「海外GⅠを足したっていいじゃないか」という意見があることは知っています。
でも、それじゃあ、GⅠと名の付くものは全て足すのか、という意見も出ますよね。
地方競馬のGⅠは足すのか。
ちなみに地方競馬も足すとコパノリッキーが、JRA2勝+地方競馬7勝の合計GⅠ9勝となり、アーモンドアイの上を行きます。
海外競馬でもパート1国だけ足すのかパート2国も足すのか、などいろいろ線引きが難しい。

そもそも、ボクは、主催者が違うものを通算で考えるのは好きじゃないんですよね。
例えばプロ野球。
よく日米通算などの記録をみますが、無理があるだろう、と思ってしまう。
なぜアメリカだけ通算するのか。
じゃあ、韓国や台湾の記録も通算するのか。
国内でも、独立リーグのものも通算するのかなど、線引き難しいですよね。
数年前、ジャイアンツを自由契約になった村田修一選手は、そこまでで1865安打でした。
その後、独立リーグの栃木ゴールデンブレーブスに入団し、72安打積み重ねました。
これ、あと63本打っていたら、通算2000本安打として、記録が認められたのかどうか非常に興味深かったのですが、どうなんだろ。

話しがそれてしまいましたが、秋の天皇賞を勝った時点でのアーモンドアイは、ボクにとっては、シンボリルドルフを超えていないという気持ちでした。

ちなみに、この時点でのアーモンドアイのJRA7勝のうち、牝馬限定GⅠが4勝あります。
同じ7勝でも価値が低いのではないかという意見もありますが、これについては、今の時代、もう牝馬だからと言って、あまり格下に見るのも変だよなというのが、ボクの気持ちです。
個人的には2008年天皇賞(秋)で、ウォッカとダイワスカーレットの牝馬2頭が対決して、1、2着になったのを見てから、牝馬強えよ、どこが格下やねんってなりました。

なお、2012年のジャパンカップでは三冠馬オルフェーヴル(2011年達成)と牝馬三冠馬(桜花賞・オークス・秋華賞)ジェンティルドンナ(2012年達成)の対決があり、牝馬のジェンティルドンナは最後の直線でオルフェーヴルに体をぶち当てて弾き出して、勝利しています。
まさに、牝馬が格下なんていつの時代の話しだよって感じです。

ここで、ボクがよりどころとしている、シンボリルドルフ最強説のよりどころのおさらいです。

その1 JRAG1が7勝で、最多勝であること

アーモンドアイも天皇賞(秋)を勝利し、7勝となりました。

その2 三冠馬(皐月賞・ダービー・菊花賞)であること

アーモンドアイは牝馬三冠馬(桜花賞・オークス・秋華賞)で、異論はあろうが、遜色なしとしましょう。

その3 さらに無敗の三冠馬であること

残念ながら、アーモンドアイは無敗ではありません。

その4 三冠馬対決で先着していること

もちろん、三冠馬対決も秋の天皇賞時点では、ありません。

というわけで、秋の天皇賞に勝利した時点でのアーモンドアイは、ボクとしての史上最強馬にはなり得なかったわけです。

話しが長くなりましたので、今回はここまで。

次回で最終回 アーモンドアイがジャパンカップで三冠馬3頭対決に勝利し、いよいよ史上最強馬となる。



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ボクの史上最強馬はアーモンドアイとなった 1 [雑記]

昨年(2020年)11月29日、現役最強馬アーモンドアイと無敗の三冠馬コントレイル、無敗の牝馬三冠馬デアリングタクトの3頭が対決するジャパンカップが行われた。
このレースを制したのはアーモンドアイ。
この瞬間から、ボクの史上最強馬はアーモンドアイとなった。



今までボクにとっての最強馬はシンボリルドルフだった。
もちろん、競馬ファンそれぞれが、思い入れのある馬が違うから、どの馬が史上最強馬なのか決めることはできないことは重々承知です。
ボクが子どものころ、アイドルはピンクレディーでした。
そして友達らと、ミーちゃん派とケイちゃん派に分かれ、どっちが1番かなんて話しをしていました。
ミーちゃんとケイちゃんの二人でさえ、どっちが1番かなんて決められないのですから(決めるものでもありませんが)、毎年数千頭とデビューする競走馬の1番を決めるなんて土台無理な話です。
ちなみに、ボクはミーちゃん派ですがね。

話しがそれました。

では、なぜボクがシンボリルドルフ派なのか。
それは次の4点が理由です。
まあこれは、ボクが競馬を始めたころに読んだ競馬雑誌の受け売りです。

その1 JRAG1が7勝で、最多勝であること
その2 三冠馬(皐月賞・ダービー・菊花賞)であること
その3 さらに無敗の三冠馬であること
その4 三冠馬対決で先着していること

これらの理由で、ボクはいままで、シンボリルドルフが史上最強馬だと思ってきました。
ちなみに、ボクが競馬を始めたのは1992年で、シンボリルドルフが三冠馬になったのは1984年。
なので、ボクはシンボリルドルフの活躍を見たことはありません。

それでは、前述の条件をもう少し深掘りしていきましょう。
なお、ボクが競馬を始めた1992年当時を基準に説明します。

その1 JRAG1が7勝で、最多勝であること

1992年当時、シンボリルドルフの7勝が最多勝でした。
ほかに7勝馬はいませんでした。
その後、ディープインパクト、テイエムオペラオー、ウォッカ、キタサンブラックが7勝しましたが、タイ記録止まりで、シンボリルドルフ超えはなりませんでした。
テイエムオペラオーなどは、7勝した後、G1を3戦連続2着、結局8勝できず、ボクなんかは、「やはり最強馬シンボリルドルフの壁は厚いな」などと一人納得していたものです。


その2 三冠馬(皐月賞・ダービー・菊花賞)であること

三冠レースは、3歳しか出走できず、また3レースの時期も競馬場も距離も違うため、オールマイティな強さが求められます。
その三冠とも制すのは並大抵のことではなく、1992年当時はセントライト(1941年)・シンザン(1964年)・ミスターシービー(1983年)・シンボリルドルフ(1984年)の4頭しか、三冠制覇した馬はいませんでした。
現在は、昨年制したコントレイルも含め、8頭になります。


その3 さらに無敗の三冠馬であること

先ほども書いたとおり、三冠馬は最強の証。
その三冠馬4頭の中で、無敗で制したのはシンボリルドルフだけでした。
現在は、ディープインパクト、コントレイルが無敗で三冠を制しています。


その4 三冠馬対決で先着していること

1992年当時の三冠馬4頭の中で、直接対決が実現したのは2年連続で三冠馬が出現したシンボリルドルフ(1984年)対ミスターシービー(1983年)だけでした。
この2頭の直接対決は3度実現しており、3度ともシンボリルドルフが先着しています。
なお、それ以降現在に至るまで、三冠馬の直接対決は実現しておりません。
この観点からすれば、多くのファンから史上最強馬とも言われるディープインパクトは「その1」~「その3」までは条件をクリアしていますが、「その4」だけ満たしていないのです。
だから、ディープインパクトは強かったけど、同世代が弱かっただけじゃないのなどとひねくれた見方もあるわけです。


これら4つの理由を鑑みて、ボクは今まで、シンボリルドルフが史上最強馬と思ってきました。

話しが大分長くなりましたので、続きは次回。

次回予告 アーモンドアイが2020年天皇賞(秋)を勝ち、GⅠ8勝になる。



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田端到・加藤栄の種牡馬事典を買いました 2020 [雑記]

田端到・加藤栄の種牡馬事典 を買いました。
この事典とは20年以上の付き合い。
3年前から発売時期が変わり、春から秋になりました。
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今まで出版していた「東邦出版」が民事再生法の手続きに入るらしく、今回からオーパーツ・パブリッシングの刊行(発売元はサンクチュアリ出版)に変わりました。
そもそも当該種牡馬事典は、秋発売なので、ほかの種牡馬事典より遅めの出版なのですが、今回はそんな事情もあってか、さらに遅めでした。(実際の発売は10月で、ボクが購入したのは11月)

ボクがその昔、この種牡馬事典を買い始めたころは、自由国民社からの出版でした。
それが数年前に東邦出版に変わり、今回の変更。
いろいろありますわな。

ところでボクが、偉そうに血統について語っている内容は、この種牡馬事典を参考にしています。
大変お世話になっています。
バナーも貼ってあるので、興味がある方はどうぞ買ってみてください。

田端到・加藤栄の種牡馬事典 2020-2021

田端到・加藤栄の種牡馬事典 2020-2021

  • 出版社/メーカー: サンクチュアリ出版
  • 発売日: 2020/10/23
  • メディア: 単行本





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